パリ・サンジェルマンFC

パリ・サンジェルマンFC は、 フランス ・ パリ に本拠地を置くプロサッカークラブ。通称は パリ・サンジェルマン 、 PSG 、 パリSG 、 パリ 。フランスのサッカーのトップリーグである リーグ・アン に所属する。
、 パリFC と スタッド・サン=ジェルマン が合併して創設された。1974年以来 リーグ・アン に在籍し続けている。リーグ・アンで9回、 クープ・ドゥ・フランス で13回、 クープ・ドゥ・ラ・リーグ で9回、 トロフェ・デ・シャンピオン で9回優勝しており、フランスで最も成功を収めているクラブのひとつである。1995-96シーズンには UEFAカップウィナーズカップ で優勝しており、ヨーロッパの主要大会でのタイトル獲得経験があるフランスのクラブは、PSGと オリンピック・マルセイユ の2クラブのみである 。1994年には 国際サッカー歴史統計連盟 の クラブ世界ランキング 1位に選出され、1998年にはUEFAクラブランキングで1位となった 。PSGはこれらの称号を持つフランス唯一のクラブである。2012年は、IFFHSでは16位、UEFAクラブランキングでは46位にランクインしている 。サポーターの愛称は サンジェリスタ 。
1973年以来、48,712人収容の パルク・デ・プランス をホームスタジアムとしている 。1974年以来、 カン・デ・ロッジュ を練習施設として使用している 。1975年以来、パルク・デ・プランスを開催地として トゥルヌワ・ドゥ・パリ を主催している 。マルセイユに対して激しいライバル意識を抱いており、両者の対戦は ル・クラスィク と呼ばれる 。ライバルのマルセイユに次いで、フランスで2番目にサポーター数が多いクラブである 。2011-12シーズンの平均観客数は42,892人であり、リーグ・アン最多だった 。最も一般的なスローガンは「Ici c’est Paris」である 。
クラブのエンブレムは青色を基調とし、中央部分にはパリのシンボルである エッフェル塔 が赤色で描かれている。現在のモデルは2013年にデザインされたものであり、それまで塔の足下に置かれていた ルイ14世 の白色の揺りかごが姿を消した 。1974年から1978年まではファッションデザイナーの ダニエル・エシュテル が会長を務め、ユニフォームはエシュテルによってデザインされた。シャツは紺色をベースとし、白色で縁取られた赤色の縦線が中央部に入っている 。特徴的な太い一本線を持っていた AFCアヤックス のユニフォームを参考にデザインされた。女子チームは1991年から存在する 。 ジャン=ポール・ベルモンド 、 アンリ・サルヴァドール 、 トニー・パーカー や ミカエル・ピートラス 、 ニコラ・サルコジ などがパリ・サンジェルマンのファンとして知られている 。
2014年1月、世界最大の 会計事務所 である『 デロイト 』の調査によると、2012-13シーズンのクラブ収入は3億9880万ユーロであり、 レアル・マドリード 、 FCバルセロナ 、 バイエルン・ミュンヘン 、 マンチェスター・ユナイテッドFC に次ぐ世界5位である 。
ヨーロッパや南米のサッカークラブは、総合スポーツクラブの一部門として誕生したクラブが多いが、パリ・サンジェルマンの創設過程はこれらのクラブとは異なる。パリに本拠地を置くサッカークラブとしては1896年創立の ラシン・クラブ・ド・フランス があった が、1967年にリーグから脱退してプロサッカー部門を撤収した 。、 スタッド・サン=ジェルマン と パリFC が合併し、 ピエール・エティエンヌ・グヨ を創設者兼初代会長としてパリ・サンジェルマンFCが設立された。設立時には ジャン=ポール・ベルモンド などパリ出身の著名人も出資している。しかし、 サン=ジェルマン=アン=レー を本拠地としたパリ・サンジェルマンFCに対してパリ市が資金援助を渋ったため、パリ・サンジェルマンFCはアマチュアクラブとして、パリFCはプロクラブとして2クラブが併存した。しかし、パリ・サンジェルマンFCはパリ社交界の著名人を味方につけて急成長し、1973年には ディヴィジョン・アン に到達した。同時期にはパリFCが衰退したため、パリ・サンジェルマンFCはそれまでパリFCが使用していた パルク・デ・プランス にホームスタジアムを変更し、1970年代末までには躍進の土台となる足元を固めた。
1981-82シーズンに クープ・ドゥ・フランス で優勝し、クラブ初の主要タイトルを獲得した。1982-83シーズンには同大会で2連覇を果たした。1985-86シーズンにはディヴィジョン・アンで初優勝し、ヨーロッパの舞台へと飛び出した 。
1991年5月、有料テレビ局の Canal によって買収された。Canal は潤沢な資金をパリ・サンジェルマンに投入し、1990年代はクラブの黄金期となった。1992年には リベリア代表 の ジョージ・ウェア や フランス代表 の ダヴィド・ジノラ を獲得。1993年には、前年に サンパウロFC で インターコンチネンタルカップ を制していた ブラジル代表 の ライー を獲得。1993-94シーズンには2度目のリーグ優勝を果たし、ウェアは1995年に バロンドール を受賞した。カメルーンの パトリック・エムボマ も2度に渡って在籍したが、出場機会に恵まれなかった。1992年から1998年の間には UEFAカップウィナーズカップ で2回決勝に進出し、1995-96シーズンに優勝した。 UEFAチャンピオンズリーグ でも1回準決勝に進出し、 UEFAカップ では2回準決勝に進出した。国内大会に目を向けても満足のいく成績を残し、1990年代にはクープ・ドゥ・フランスで3回優勝、クープ・ドゥ・ラ・リーグとトロフェ・デ・シャンピオンで2回ずつ優勝を果たした 。
1995-96シーズンには ユーリ・ジョルカエフ が柱となって UEFAカップウィナーズカップ を獲得。このシーズンには ジネディーヌ・ジダン を擁する FCジロンダン・ボルドー が UEFAカップ で準優勝し、 FCナント が UEFAチャンピオンズリーグ でベスト4に入るなど、その後のフランス代表チームの活躍を予感させる年であった。後に、フランス代表は 1998 FIFAワールドカップ 、 UEFA EURO 2000 で優勝を飾っている。
1996-97シーズンは、 ユーリ・ジョルカエフ をインテルへ放出。 ボスマン判決 の影響を受けたが、この年に加入した レオナルド の活躍や パトリス・ロコ の復調などで戦力低下は免れた。 UEFAカップウィナーズカップ 決勝進出するもバルセロナ相手に敗れて準優勝。
1997-98シーズンは、レオナルドを ACミラン へ放出したが、逆にミランから マルコ・シモーネ を獲得。リーグでは低迷するもカップ2冠を達成。
1998-99シーズンは、 オーガスティン・オコチャ 、 クリスティアン・ヴェアンス らが加入したが、新戦力が相次いで期待を裏切り、リーグ、カップ共に低迷した。
1999-2000シーズンは、オコチャをボランチにコンバートしたことでチームのバランスが修復される。リーグでは2位に入ってUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得。
2000年に レアル・マドリード から ニコラ・アネルカ を獲得。2001年には グレミオFBPA から ロナウジーニョ を獲得した。ロナウジーニョは2003年まで在籍し、移籍金3000万ユーロで FCバルセロナ に移籍した。2003年には移籍金1200万ユーロで ポルトガル代表 の ペドロ・パウレタ を獲得。パウレタは2008年まで在籍し、2度のリーグ得点王に輝くなど、クラブ通算100得点を達成した。
2000年代前半に獲得したタイトルはわずかひとつ。2004-05シーズンと2005-06シーズンはリーグ戦で9位に転落し、2006年、Canal は2600万ユーロの安価で コロニー・キャピタル 、 バトラー・キャピタル・パートナーズ 、 モルガン・スタンレー に株式を売却したが、Canal 撤退後には深刻な財政難に陥った 。なお、同年には エミレーツ航空 がメインスポンサーとなり、2008年にはスポンサー契約を2014年まで更新している 。2006-07シーズンは残留争いに加わって15位に終わり、いずれのカップ戦でも決勝に進めなかった。2007-08シーズンも16位に終わったが、カップ戦では健闘した。クープ・ドゥ・ラ・リーグを制し、クープ・ドゥ・フランスでは決勝に進出したが、リーグ王者の オリンピック・リヨン に敗れて準優勝に終わった。2008-09シーズンは優勝争いに絡んだが、欧州カップ戦出場権を逃す6位に終わった。コロニー・キャピタルがモルガン・スタンレーから95%の株式を購入して筆頭株主となった。2009-10シーズンにはクープ・ドゥ・フランスで8回目の優勝を飾ったが、このシーズンには女子チームも同大会で優勝した。同一クラブの男女チームがクープ・ドゥ・フランスを独占するのはフランス史上初だった 。 サン ローラン 211
2011年5月、 カタール投資庁 の子会社である カタール・スポーツ・インベストメント がクラブ株式の70%を購入して筆頭株主となった 。2012年にはコロニー・キャピタルやバトラー・キャピタル・パートナーズから残りの30%の株式も購入し、QSIが単独株主となった 。カタールの タミーム 皇太子の友人の ナーセル・アル=ヘライフィー が会長に就任し、数年間で1億ユーロもの移籍金をチーム強化のために移籍市場に投じることを示唆した 。QSIによる買収で、パリ・サンジェルマンはフランスのみならず世界でもっとも裕福なクラブのひとつとなった 。かつて選手として在籍し、 インテル で監督を務めていた レオナルド をスポーツ・ディレクターとして抜擢。2011年夏には8000万ユーロ近くを投じ、 アルゼンチン代表 の ハビエル・パストーレ 、 ウルグアイ代表 の ディエゴ・ルガーノ 、フランスの ケヴィン・ガメイロ や ジェレミー・メネス 、 イタリア代表 の サルヴァトーレ・シリグ といった実力者を獲得した。特にパストーレ獲得の際には、リーグ・アン史上最高額の移籍金4200万ユーロを USチッタ・ディ・パレルモ に支払った 。2011年12月にはリーグ首位に立っていたが、 アントワーヌ・コンブアレ 監督を解任し、 ACミラン や チェルシーFC でタイトルを獲得した カルロ・アンチェロッティ を監督に招聘 。2012年1月の移籍市場では マクスウェル や アレックス 、 ティアゴ・モッタ ら実力者を獲得し、結局は モンペリエHSC に優勝をさらわれて2位に甘んじたものの、8シーズンぶりとなる好成績を収めた 。
2012年夏には1億5000万ユーロを投じ、 SSCナポリ から エセキエル・ラベッシ を、ACミランからブラジル代表の チアゴ・シウバ や スウェーデン代表 の ズラタン・イブラヒモビッチ といったビッグネームを獲得した 。特に、チアゴ・シウバはディフェンダー史上2番目に高額な4200万ユーロの移籍金で獲得した。8年ぶりに出場したCLでは準々決勝で FCバルセロナ にアウェーゴール差の僅差で敗れた。リーグ戦では開幕から好調を維持し19年ぶり3度目の優勝を果たした。
2012-13シーズン終了後、アンチェロッティが退任し、前フランス代表監督の ローラン・ブラン を招聘した。選手では、SSCナポリのFW エディンソン・カバーニ 、LOSCリールのDF リュカ・ディニュ 、ASローマのDF マルキーニョス を獲得、約1億1000万ユーロを市場に投下し、積極的に補強計画を進めている。特にカバーニはリーグアン史上最高額の移籍金6500万ユーロ、マルキーニョスは10代のDFとして破格の移籍金3000万ユーロである。
クープ・ドゥ・フランスでは10回戦で2011-12シーズンにリーグ優勝を攫われたモンペリエに敗れたものの、クープ・ドゥ・ラ・リーグでは2007-08シーズン以来6シーズンぶりの優勝を果たした。チャンピオンズリーグでは準々決勝で チェルシー に3-3ながらアウェーゴールの差で敗れベスト8。リーグ戦では昇格1年目ながら、総額で1億4000万ユーロの莫大な資金を投じ ファルカオ や ハメス・ロドリゲス 等を補強した ASモナコ の抵抗にあったが、2年連続4度目のリーグ優勝。、第37節の試合が行われ、3-1で リール に勝利した。この勝利で、2006年に オリンピック・リヨン が樹立したシーズン最多勝ち点84を上回り、最終節のモンペリエ戦も勝利したのでリーグ新記録の勝ち点89を樹立した。またイブラヒモビッチが2年続けて2位に10ゴールの大差をつけて得点王になった。
2014-15シーズンは スタッド・ドゥ・ランス との開幕戦に引き分けると、 トゥールーズ や エビアン といった格下相手に引き分けて勝ち点を取り零す不安定な戦いが続いた。更に UEFA の ファイナンシャルフェアプレー に引っ掛かった影響でチーム強化に使える予算が6000万ユーロに制限された事で思いの外補強が出来ず、チアゴ・シウバや新戦力で6000万ユーロの大半にあたる4950万ユーロを補強に充てた ダビド・ルイス らのブラジル代表メンバーがワールドカップ準決勝でドイツに1-7という衝撃的な大差で敗れた事へのトラウマに苛まれた。また、イブラヒモビッチの影響で右ウィングでの起用に不満を訴えるカバーニも冴えないパフォーマンスに終始する等、主力の不調やリヨンやマルセイユの大躍進によりなかなか首位に立てず、一時はブランの解任騒動にまで発展した。そうした中で、一撃必殺のスルーパスに超絶技巧を武器とするパストーレの活躍を皮切りに、怪我や出場停止で最終的に24試合の出場ながらも19ゴールを挙げたイブラヒモビッチら主力もチームも徐々に復調。 チャンピオンズリーグ では昨年敗れたチェルシーとベスト16で対戦し、ブラジル代表センターバック2人の活躍で劇的な展開で勝利しながらも、準々決勝でグループステージでも対戦した FCバルセロナ に敗れた。直後のリーグ戦で第30節の ロリアン 戦から8連勝で突っ走り3年連続5回目のリーグ制覇。他にクープ・ドゥ・フランスは9回戦で2011-12シーズンのリーグ王者・モンペリエ、10回戦で2008-09シーズンのリーグ王者・ ボルドー 、11回戦で7度の優勝を誇る ナント 、準々決勝で昨年優勝を争ったモナコ、準決勝ではリーグ・アン最多10回の優勝を誇る ASサンテティエンヌ 、決勝は準々決勝までは3部のチームや同じ リーグ・ドゥ のチームを倒し、準決勝でリーグ・アンの EAギャンガン を倒した AJオセール と難敵を次々に倒し5年ぶり9回目の優勝。クープ・ドゥ・ラ・リーグは2011-12シーズンのリーグ・アン王者・リールを準決勝で倒し決勝でバスチアに4-0で快勝。2年連続5回目の優勝を果たし、フランス史上初となる国内三冠。2014-15シーズンの開幕節の前に中立地で一発勝負を行う トロフェ・デ・シャンピオン も ギャンガン を倒しているので、こちらもフランス史上初の 国内4冠 も成し遂げた。
2015-16シーズンオフ前に2011-12シーズンにモンペリエのリーグ優勝を支えた ベンジャミン・スタンブリ や レイヴァン・クルザワ 、 フランクフルト からやってきた ケヴィン・トラップ に加え、2013-14シーズンのカバーニに次ぐリーグアン史上歴代2位の6300万ユーロを投じてマンチェスター・ユナイテッドから アンヘル・ディ・マリア を獲得。2015-16シーズンはリーグ戦を無類の強さで独走し、に8節を残して欧州サッカー史上最速で4シーズン連続のリーグ優勝を決定させた。しかし最大目標と掲げていたチャンピオンズリーグではエースのイブラヒモビッチがインテルやミラン、バルサ時代から指摘されている チャンピオンズリーグでは輝けない というレッテルを剥がせず、4年連続でベスト8の壁を崩せなかった。他にクープ・ドゥ・フランスは決勝でリール倒し2年連続10回目の優勝。クープ・ドゥ・ラ・リーグは決勝でマルセイユに4-2で勝利。3年連続6回目の優勝を果たし、2シーズン連続となる国内三冠。2015-16シーズンの開幕節の前に中立地で一発勝負を行うトロフェ・デ・シャンピオンもリヨンを倒しているので、こちらも2シーズン連続となる 国内4冠 も成し遂げた。
2016-17シーズンは、ブラン監督を解任し、 セビージャFC を UEFAヨーロッパリーグ 3冠に導いた ウナイ・エメリ を招聘した。 ニース で復活を遂げた ハテム・ベン・アルファ をフリーで獲得し、他にも トーマス・ムニエ 、 グジェゴシュ・クリホビアク 、 ヘセ・ロドリゲス を獲得したが、本来のを土台にしたこれまでの流動的なスタイルからポジションチェンジを制限するのシステムが上手く機能せず、またそのが選手に受け入れられず一部の選手の反発を招き、に戻しても一度失った機能性は回復せず前半戦だけで4敗を喫し順位を落としていく。冬の移籍市場では即戦力として ユリアン・ドラクスラー と ゴンサロ・ゲデス を獲得。にフォーメーションを戻してからはトップの位置に入ったカバーニが35ゴールと奮闘し調子を取り戻して行くもののファルカオや キリアン・エムバペ らを擁するモナコにリーグタイトルを奪われる形となった。チャンピオンズリーグではバルセロナ戦1stレグで4-0の大勝を挙げるも、敵地カンプ・ノウでの2ndレグで3-0となって後半17分に一度はカバーニのゴールであと3点必要な状況に追い込んだものの、勢いの止まらない MSN を止められずネイマールに終了間際の後半43分とアディショナルタイム1分に続け様に決められるとアディショナルタイムの5分に セルジ・ロベルト に決められ、1-6で敗れたことで2戦合計5-6と4-0からの大逆転劇を決められベスト16で敗退した。クープ・ドゥ・ラ・リーグは決勝でモナコに4-1で勝利、クープ・ドゥ・フランスは準決勝でモナコを5-0とリーグ5連覇を逃した鬱憤を晴らし、決勝では2年前までは リーグ・ドゥ に所属し昨年9位だった アンジェSCO に1-0で下しどちらのカップ戦も3連覇を達成した。
2017-18シーズンは ユベントス との契約を解除した ダニエウ・アウヴェス をフリーで、バルセロナから ネイマール を史上最高額の移籍金2億2200万ユーロで獲得した 。さらにライバルのモナコからキリアン・エムバペを買取オプションのついたレンタルの形で獲得した 。その余波を受け、 サルヴァトーレ・シリグ 、 ヘセ・ロドリゲス 、 ブレーズ・マテュイディ 、 ゴンサロ・ゲデス 、 グジェゴシュ・クリホビアク 、 セルジュ・オーリエ を放出した 。エムバペとカバーニとネイマールの前線トリオはそれぞれの頭文字をとって MCN と呼ばれ、期待された通りの爆発的な攻撃力によってチームを牽引しリーグ・アンの首位を独走。チャンピオンズリーグでもグループステージで歴代最多得点記録となる25得点を記録し、 バイエルン・ミュンヘン を抑えて首位通過するなど史上初の優勝が期待されたが、前年王者との対決となったトーナメント初戦の レアル・マドリード 戦では敵地の1stレグで先制するも逃げ切りに失敗して1-3と逆転負けし、逆転を狙ったホームの2ndレグでも、ネイマールを負傷で欠き、試合途中に マルコ・ヴェッラッティ が退場になるなどして優位に立てずに1-2で敗れ、合計スコア2-5で2年連続ベスト16で敗退した。
2018-19シーズンは トーマス・トゥヘル を監督に招聘し、2年契約を締結した 。夏の移籍市場では、エムバペの買取オプションが行使し、 ジャンルイジ・ブッフォン をフリーで、 シャルケ04 から ティロ・ケーラー 、バイエルン・ミュンヘンから フアン・ベルナト 、 ストーク・シティFC から エリック・マキシム・シュポ=モティング を獲得した。一方、 ケヴィン・トラップ 、 ユーリ・ベルチチェ 、 ハビエル・パストーレ 、 ハテム・ベン・アルファ を放出、人員整理に努めた。 アドリアン・ラビオ がクラブとの契約延長を拒否して干されてしまったが、トゥヘルは マルキーニョス をボランチにコンバートし、ネイマールをトップ下に置いて-1システムのフォーメーションを確立し、リーグでは首位を独走、UEFAチャンピオンズリーグも リヴァプールFC 、 SSCナポリ と同居する「死のグループ」を首位通過した。しかし、ネイマールとカバーニが負傷離脱すると、決勝トーナメント・ラウンド16のマンチェスター・ユナイテッド戦は1stレグこそアウェーで2-0で勝利するも、2ndレグでホームで1-3と敗戦。2年前同様勝ち抜け率0%のスコアからの逆転突破を許し、3年連続でベスト16で敗退した。
2019-20シーズンは、 レオナルド がスポーツ・ディレクターに復帰。アルフォンソ・アレオラとのトレードでレアル・マドリードから ケイロル・ナバス 、ドルトムントから アブドゥ・ディアロ 、セビージャから パブロ・サラビア 、 エヴァートンFC から イドリッサ・ゲイェ 、フリーで アンデル・エレーラ 、インテルから マウロ・イカルディ をレンタルで獲得した。その一方でラビオやダニエウ・アウヴェス、グレゴシュ・クリホビアク、ジオバニ・ロ・チェルソ、ヘセ・ロドリゲスらを放出した。GKにナバスが、ボランチにゲイェが加入したことで、長年の課題だった守備面での問題が解消され、前線にイカルディが加入したことで昨年の-1のみならずも可能になり、攻守のバランスが取れるようになった。左MFにネイマール、前線でエムバペとイカルディの2トップ、右MFにディ・マリアが並ぶ豪華な攻撃陣は ファンタスティック・フォー とも呼ばれ 、リーグ戦では4試合連続4得点を記録した27節の終了時点で75得点と爆発的な攻撃力を誇って首位を快走。 新型コロナウイルスの感染拡大 によってリーグ・アンが中断されていたが、4月30日にリーグ・アンの打ち切りが発表され、中断時点までの1試合あたりの勝ち点によって算出された順位で1位となりリーグ優勝を果たした 。CLでもグループステージではネイマールが最初の3試合出場停止 、エムバペも欠場だったにもかかわらずレアル・マドリードにホームで3-0の勝利、復帰後もアウェーで2-2と互角に渡り合い、首位通過を果たした。決勝トーナメントではボルシア・ドルトムントとアウェーで2-1で敗れたが、無観客試合となったホームでの試合は2-0で勝利してトータルスコア3-2で2015-16シーズン以来の準々決勝に進出。CLは新型コロナウィルスの世界的な感染拡大により長期の中断を余儀なくされたが、準々決勝以降の開催方式が1試合決着方式の中立地での短期集中開催に変更された。これにより、既に準々決勝進出を決めたことで残り消化試合数が少なくなり、パリSGにとって追い風となった。準々決勝はアタランタに2-1で勝利して1994-95シーズン以来の準決勝進出となり、QSIによる買収後初めてベスト8の壁を突破し、クラブ創設後初のCL決勝に進出したが FCバイエルン・ミュンヘン を前に1-0で敗退した。
2020-21シーズンは、長年キャプテンを務めていた チアゴ・シウバ が契約満了に伴い、 チェルシー に移籍。さらに、 エディンソン・カバーニ 、 トーマス・ムニエ ら主力が同じく契約満了に伴い退団。これまでチームを牽引していたベテランが相次いで退団した。2019-20シーズンに期限付き移籍で加入していた マウロ・イカルディ 、 セルヒオ・リコ が買い取りOP行使により完全移籍で加入した。さらに、期限付き移籍で アレッサンドロ・フロレンツィ 、 モイーズ・キーン 、 ダニーロ・ペレイラ が加入した。また、 スポルティングCP に期限付き移籍していた ヘセ・ロドリゲス が復帰した。 イブ サン ローラン 148 オフシーズンに 新型コロナウイルス に主力選手が多数感染。 UEFAチャンピオンズリーグ の影響で延期されていた第2節 RCランス 戦から2試合、ユース選手ら若手選手を中心に試合に臨むも2連敗。第3節ホーム パルク・デ・プランス で行われた オリンピック・マルセイユ との ル・クラスィク で0-1で敗戦。以来、9年ぶりにマルセイユ相手に黒星を喫した。その後も波に乗り切れず14節 オリンピック・リヨン 戦で敗北し首位から陥落。12月29日、 トーマス・トゥヘル 監督が解任された 。、クラブのOBで前 トッテナム 監督の マウリシオ・ポチェッティーノ が就任 。しかし今季好調だった リール を追い抜くことが出来ず2位でフィニッシュ、リーグ4連覇を逃した。CLでは RBライプツィヒ 、 マンチェスター・ユナイテッド 、 バシャクシェヒル を含むグループHを首位で通過。ラウンド16では FCバルセロナ を1stレグ4-1、2ndレグ1-1、合計5-2で勝利。準々決勝では昨季のCL決勝で敗れた FCバイエルン・ミュンヘン との再戦が実現した。結果は1stレグ3-2、2ndレグでは0-1と敗れるもアウェーゴール差で勝利し昨季の雪辱を果たした。準決勝では マンチェスター・シティ と対戦するも1stレグ1-2、2ndレグ0-2、合計1-4で敗退した。

https://lh3.googleusercontent.com/pw/AM-JKLVgiKjIXRg-Aa-hAxFtPcKT_R7SmB-ITHJA0RJatD57WYGviBQ1qSf3A9kugVp-HzW1mgZt4Sb6w96xUCm3UA1bKUu7DOqOcGakg86JKw9AaCXykPtPoEDe7jWgqeWKPCNuDantNfQXVgsQNA8Wu84=s885-no?authuser=0

2021-22シーズンは、夏の移籍市場で大型補強を敢行した。 インテル・ミラノ から アクラフ・ハキミ を移籍金7000万ユーロで獲得した ほか、 ACミラン から ジャンルイジ・ドンナルンマ 、 リヴァプールFC から ジョルジニオ・ワイナルドゥム 、 レアル・マドリード から セルヒオ・ラモス 、 FCバルセロナ から リオネル・メッシ を、それぞれフリーで獲得した。また、 スポルティングCP から ヌーノ・メンデス が買い取りオプション付きの期限付き移籍で加入した 。一連の補強により数多くのスター選手を揃えたPSGは、 銀河系軍団 と呼ばれた2000年代前半から中盤のレアル・マドリード以来の 新・銀河系軍団 として注目を集めており、特に前線の MMN は非常に強力な3トップとして期待されている。CLではマンチェスター・シティと同グループの中2位通過を果たし、ラウンド16ではレアル・マドリードと対戦。1stレグでは1-0で勝利するも、2ndレグではアウェイでゴールキーパーの ジャンルイジ・ドンナルンマ のミスを皮切りに3点を返され、合計2-3で敗退、超大型補強を持ってしてもまたもや優勝の悲願は叶わなかった。
ル・クラスィク は、PSGと オリンピック・マルセイユ の間で行われるダービーマッチの名称である。対戦の名称は、 レアル・マドリード と FCバルセロナ が対戦する エル・クラシコ に由来している。PSGとマルセイユのライバル意識が1980年代後半から1990年代初頭にかけて激しさを増すと、有料テレビ局でPSGの元オーナー・ Canal とマルセイユの ベルナール・タピ 会長が両者の対立を煽り、フランス中のサッカーファンにとって興味深い試合に仕立て上げた 。両クラブは スタッド・ヴェロドローム と パルク・デ・プランス という世界クラスのスタジアムを持ち、白熱した雰囲気や熱烈なサポーターを持つことで名高い。両クラブのサポーターは憎しみ合っており、両クラブサポーターの衝突を防ぐために万全の警備体制が敷かれるが、それでも両者が出会うと暴力事件に事欠かない 。
それぞれの本拠地である パリ と マルセイユ は、フランスで最も大きな2都市である。両クラブのタイトル数を合わせると、 リーグ・アン で11回優勝、 クープ・ドゥ・フランス で18回優勝、 クープ・ドゥ・ラ・リーグ で7回優勝、 トロフェ・デ・シャンピオン で5回優勝している。ヨーロッパの主要大会で優勝経験があるのは、PSGとマルセイユのみである。2000年代に オリンピック・リヨン が台頭するまで、両者がリーグ・アンの覇権を握っていた。真に全国的なクラブであり、忠実で情熱的なファンクラブを持ち、ビッグゲームで特別な雰囲気を醸し出すのは、フランスではPSG、マルセイユ、 ASサンテティエンヌ の3クラブのみである 。
前身クラブのひとつである スタッド・サン=ジェルマン は カン・デ・ロッジュ の スタッド・ジョルジュ・ルフェーヴル をホームスタジアムとしており、1970年に パリFC と合併してPSGとなった後も、PSGは1974年までジョルジュ・ルフェーヴルをホームスタジアムとして使用していた 。1974年からはトップチームとリザーブチームの練習施設としてカン・デ・ロッジュを使用している。リザーブチームと女子チームはともにジョルジュ・ルフェーヴルをホームスタジアムとしている 。カン・デ・ロッジュは2008年に改修された 。1973年6月以来、 パルク・デ・プランス を使用するクラブはPSGのみである 。、 FCレッドスター・サン=トゥアン 戦で初めてパルク・デ・プランスを使用した 。親会社である カナル・プリュス は1992年からパルク・デ・プランスの使用許可を有している。1999年、パリ市はスタジアムの使用許可を15年間延長した 。2002年、クラブハウスがスタジアムから新ビルに移転した 。過去最高の平均観客数を記録したのは1999-2000シーズンであり、1試合平均43,185人を記録した。1982-83シーズンの UEFAカップウィナーズカップ 準々決勝・ KRCヘンク 戦では過去最高の観客数である49,407人を記録した 。メインスタンドから見て左側のサイドスタンドはブーローニュ・スタンド、右側のサイドスタンドはオートゥイユ・スタンドと呼ばれる 。1985年にはブーローニュ・ボーイズというサポーターグループが結成され、フランス最古の ウルトラス とされていたが、2007-08シーズンの クープ・ドゥ・ラ・リーグ 決勝で RCランス に対して過激な横断幕を掲げ、内務省が調査に乗り出す事態に発展したため、2008年春に自主解散した 。
クラブのリザーブチーム、ユースチーム、女子チームなどは、 イル=ド=フランス地域圏 の サン=ジェルマン=アン=レー 、カン・デ・ロッジュにある練習施設を使用しており、彼らは主に3,500人収容のスタッド・ジョルジュ・ルフェーヴルをホームスタジアムとしている。この施設は高水準の練習を行なったり多くの優れた選手を輩出してきたことでも知られている。下部組織の卒業生には ニコラ・アネルカ 、 ルイス・フェルナンデス 、 ママドゥ・サコー 、 ロリック・カナ 、 ジャン=マルク・ピロルジェ 、 ジェローム・ルロワ などがいる。Bertrand Reuzeauが施設長を務めている 。 イヴリーヌ県 のVerneuil-sur-Seineには15歳以下の選手用の練習施設がある 。カン・デ・ロッジュは フランスサッカー連盟 によってフランス最高水準の練習施設のひとつと認識されており、2009年にエリートクラスに分類された 。パリ・サンジェルマンの下部組織は、クープ・ドゥ・パリで3回、U-19全国選手権で3回、Challenge du Meilleur Club de Jeunesで2回、Championnat DH Parisで1回、 クープ・ガンバルデッラ で1回、U-17全国選手権で1回、U-16全国選手権で1回、Tournoi Carisportで1回優勝している 。
クラブにはプロの女子チームも存在する。このチームは1991年からパリ・サンジェルマンFCの組織に組み込まれている。 カン・デ・ロッジュ のStade Georges Lefèvreをホームスタジアムとして使用している。2001年に フランス女子サッカーリーグ 2部で優勝して1部に昇格した。2009-10シーズンには クープ・ド・フランス・フェミニン で優勝し、初のメジャータイトルを獲得した。2010-11シーズンのリーグ戦では2位となり、クラブ史上初めて UEFA女子チャンピオンズリーグ の出場権を獲得した 。
パルク・デ・プランス を開催地とし、 トゥルヌワ・ドゥ・パリ という名称のプレシーズン親善大会を主催している。1957年から1976年まではシーズン閉幕後に開催し、1977年以降はシーズン開幕前に開催している。この大会は AFCアヤックス が主催する アムステルダム・トーナメント 、 アーセナルFC が主催する エミレーツ・カップ などと同等の権威を持つ親善大会であり、Canal によって放映される。主催クラブを含めて4クラブが出場し、2日間に渡って行なわれる 。パリ・サンジェルマン自身は1975年以降継続して出場しており、7回優勝している。 RSCアンデルレヒト が3回優勝しており、主催クラブ以外では最も優勝回数が多い 。
1970年の ピエール・エティエンヌ・グヨ 初代会長以来、2011年に就任したカタール人の ナーセル・アル=ヘライフィー 会長までに17人がパリ・サンジェルマンの会長職に就いている であり、在任期間中に8個の主要タイトルを獲得したのです。
1991年以降、3人がチェアマンの職に就いた 。最も成功を収めたチェアマンはベルナール・ブロシャンであり、在任期間中に9個の主要タイトルを獲得した。ブロシャンは歴代最長の在任期間を持つチェアマンでもあり、10年に渡って同職を務めた。2012年からはベノワ・ルソーがチェアマンを務めている 。
1970年に初代監督となった ピエール・フェリポン に始まり、PSGでは20人以上が監督を務めてきた。 ルイス・フェルナンデス 監督はクラブ史上最多の5個のタイトルを獲得した。1994-95シーズンの クープ・ドゥ・フランス と クープ・ドゥ・ラ・リーグ 、1995年の トロフェ・デ・シャンピオン 、1995-96シーズンの UEFAカップウィナーズカップ 、2001年の UEFAインタートトカップ である。在任期間の最長記録はルイス・フェルナンデス監督とジョルジュ・ペロシェ監督の5年間であり、采配試合数の最多記録はルイス・フェルナンデス監督の244試合である。 イブ サン ローラン 148 2
イヴサンローラン