シャネルも絶賛!オシャレを磨くならサンローランを学べ!

ご存知でしょうか?「イヴ・サンローラン」というブランドが、「サン・ローラン・パリ」になったことを。モードの帝王と呼ばれたイヴ・サンローラン。晩年はグッチに買収された後、グループ内の一つの事業となりました。
2013年春夏コレクションより新デザインディレクター「エディ・スリマン氏」指揮の下、「サン・ローラン・パリ」として新なラインを発表しました。 ▼2016年AW 出典先: shion-promotion.net/bands/public/21145/376519 出典先: shion-promotion.net/bands/public/21145/376499
エディ・スリマンは、1997年に「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ オム」のディレクターを3年勤めていたことがあった。2001から2007年まで、ディオール・オムのデザイナーも務めていた。写真家という顔も持っている。デザイナーとしては「天才」と呼ばれている人物だ。
最近では昨年、スマップの木村拓哉さんがサンローランを愛用しているとテレビで発言。サンローランのサイトがパンクするなど、人気となりネットで話題にもなった。
▼エディ・スリマン新デザインディレクター 出典先: set/entrance-11567169696.html document
イヴ・サンローランのメイクアップ商品は、クリエイティブディレクター「ロイド・シモンズ」の指揮の下、昔ながらのイヴ・サンローランの名前とロゴを生かして活動が継続されている。
1994年の秋、プレタポルテコレクションで最もオシャレだと言われたのはイヴ・サンローランだった。 他のデザイナーはイヴの昔のスタイルを取り入れていたので、「まるでコピーのようだ」と言われた。実際、ラルフローレンを告訴している。それ程までにイヴのスタイルは他のデザイナーに影響を及ぼしていた。
スタイリストから出発した「アナ・スイ」はサンローランの19番、フューシャピンクの口紅がお気に入りだった。
また、ミラノの演劇学生だった「ミウッチャ・プラダ」はリヴ・ゴーシュの大ファンで良く買い物をした。そして蚤の市に出かけては、イヴ・サンローランのオートクチュールの古着を探し回ったという。 プラダは祖父のカバン会社を継いだ時、10年以上イヴの服を愛用していた。とてもイヴを尊敬していて、「彼は改革者であり、天才だ」と言っていた。
このように、イヴの影響を受けた若いデザイナーは数知れずいた。 逆に同輩のカール・ラガーフェルド、ジャンニ・ヴェルサーチ、ジョルジオ・アルマーニなどは、イヴの影響を受けまいと、頑張っていたと言われている。
未だ現役デザイナーを刺激し続けているモードの帝王、イヴ・サンローランの生涯に迫ってみました。
▼Yves Saint-Laurent 出典先: attention/ysl-theater/getting.html document
アルジェリア出身の、フランスのファッションデザイナー。 1936年に生まれ、1958年に初めてのコレクションを発表。 2002年のパリコレで引退した。 40年間紆余曲折ありながら、カリスマデザイナーとして君臨してきた。 2008年にガンの為、死去している。 20世紀、激動のファッションシーンを駆け抜けた、天才と呼ばれたデザイナー。 その功績と苦悩を辿ってみました。 ※参考図書《イヴ・サンローラン 喝采と孤独の間で》アリス・ローソーン著
イヴ・サンローランのおばは小さい頃のイヴについてこう証言していた。 「イヴは私のドレスやアクセサリーに注文をつけるの。それも命令口調で自信たっぷりに。5~6回も着替えさせるのよ」
また、演劇鑑賞をした後、帰ってから、妹やいとこ達にそのお芝居のセットや衣装を着古しのドレスやシーツで再現していた。すでに幼少期からデザイナーの才能の片鱗が現れていたのです。
高校時代、「男らしくない」とか「めめしい奴」とイジメに遭っていたイヴ。 ”いつか、有名になってイジメた奴らを見返してやる”と、心に誓っていた。しかし、この頃から自分の性の認識が他人と違うと感じていた。ホモセクシャルと自覚したのだった。
イヴは最初からファッションデザイナーを目指していたのではなかった。 デッサンや絵を描くことが好きだったので、はじめ、舞台デザイナーを目指していた。 演劇批評を読む為に母親の「ヴォーグ」「パリ=マッチ」などのファッション雑誌を読んでいた。
それがきっかけで徐々にファッションの世界に興味を持ち始め、「パリ=マッチ」の由緒ある若手デザイナーのコンクールに応募し、見事三等を獲得した。
1954年に、一人フランスに行き、学校に通う。基本的な「正しい糸の使い方」「裁断」を学んだが、退屈な日々だった。早々に学校を辞めたがっていたイヴを心配した母親は、ファッション界のとある人物に相談する。
イヴのスケッチを見たその人は驚いた。 何故驚いたのかというと、まだ未発表で誰も知らないはずのドレスが描かれていたのだった。それは、当時活躍していたクリスチャン・ディオールの春夏用コレクションに発表予定のAラインのドレスだった。
驚いたその人物はクリスチャン・ディオールにイヴを合わせることにした。このことがきかっけで、イヴはディオールの下、デザイナーとしての一歩を踏み出すことになったのです。
イヴは同僚の同世代の女の子達と楽しい関係を築いていた。彼女達を喜ばせる為に、漫画も描いていたと言われている。当時、ピエール・バルマンで働いていたカール・ラガーフェルドともライバルであり、友人だった。
▼写真は1954年国際羊毛事務局コンクールで7つの賞のうち、3部門でぶっちぎりで最優秀賞を獲得したイヴ。 イヴ サン ローラン ブランド コート部門で最優秀賞を獲得したカール・ラガーフェルド 出典先: se/write_0305.html document
1955年イヴがディオールに雇われた時、イヴ19歳、ディオールは52歳だった。 ディオールはシャイで迷信深く、占いを信じていた。実はディオールは続くコレクションと事業運営のプレッシャーで悩み、心身ともに衰弱していたのだった。
ある時、イヴの母親にこう告げる「イヴは私の後継者になるだろう」と。 すると間もなくディオールは心臓発作でこの世を去ってしまったのだ。
ディオールの死は、フランスに大きなショックを与えた。そして、ディオールブランドは、後継者のデザイナーはどうなるんだろうという事に関心が集まった。 記者に発表されたのは、なんと、デザイナーとして全く無名の弱冠21歳の若さのイヴだった。ディオールが予告した通りの人事だった。
1958年、クリスチャンディオールとしての最初のオートクチュールコレクション ”トラペーズ・ライン” を発表した。ブランコの線という意味で、裾のラインが膝を覆うような台形型をしているのが特徴と言われている。
▼トラペーズライン 出典先: siesta-shirts or dresses.com/topi/re/re10.html document
ディオールよりも軽やかなデザイン。けれども、客の好きな豪華さ、エレガントさはそのままに生かし、ラインを変えたのだった。
初めてのコレクションは大成功!新聞の見出しには「イヴ・サンローランはパリを救った」と大絶賛。ニューヨークタイムズにも「イヴ・サンローランは国民的英雄となった」とまで言わしめた。

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あまりにも若くして大きな物を背負ったイヴ。しかもプレッシャーにも負けず、初めてのコレクションで実力を発揮できるなんて、天才と言われるのも頷けます。
大成功に終わった初めてのコレクション。この後、オートクチュールの重要顧客でもある女性がイヴを夕食に招待した。イヴが緊張しないようにと、二人の同世代の男性も同席させた。一人は画家のベルナール・ビュッフェ。もう一人はそのベルナールの恋人のピエール・ベルジェ。
このピエール・ベルジェこそ、のちのイヴの恋人であり、イヴ・サンローランというブランドのビジネス部門を取り仕切る優秀なビジネスマネージャーになる男であった。ピエール・ベルジェその時27歳。イヴとは正反対な見た目で、性格も異なり、お互いない物を補える完璧な相性の良さだったそうだ。
ピエールがイヴを見た時の第一印象は「よそよそしいハニカミ屋の少年」。二人とも一目惚れだった。ピエールも若い頃から自分が同性愛者だと分かっていた。 二人は親密に付き合い出し、サービス精神旺盛なピエールはイヴを自分の知人に紹介したり、演劇鑑賞などに連れ出したりした。
▼ピエールとイヴ 出典先: sutatsu.applications.jp/records/29226106.html document
出典先: deliver/605156/210192419 イヴは多忙を極めた。若くして成功したハンサムなデザイナーは、金持ちの顧客や年配の婦人、記者達に王子様扱いされる人気だった。 また、ディオール社内でも「ディオール亡き後、会社を救ってくれた」と、求心力も高まっていった。
ファッション界に時代の波が押し寄せた。エレガントなドレスより、カジュアルでスポーティーなデザインが若者たちに流行し始めた。アメリカではアン・クラインなどがスポーティーファッションを流行らせた。
イヴも今までのエレガントからカジュアルなデザインへと移行していく。年配の婦人や今までの顧客にはなかなか受け入れらない物だった。そんな中、戦争という時代の荒波にイヴ自身、呑まれることになる。アルジェリア戦争の軍徴収兵としてイヴも兵役に出ることになり、イヴは絶望する。
兵役に出ることで起こるイヴの悩みは二つ。一つ目は恋人ピエールと会えなくなること。二つ目はファッション界でブランクが出来てしまう。最低2年は軍隊生活をしないとならないからだ。また、軍では兵舎仲間に「めめしいオカマ」とイジメられる。
入隊して20日もしないうちにイヴは精神を病んで軍の病院に収容される。イヴは脱走を試みるが捕まり、薬漬けにされてしまった。誰にも会うことも許されなかった。
ここでイヴを救ったのは、恋人、ピエールであった。ピエールは追い返されても諦めず、毎日毎日病院に通ってイヴへ面会を求めた。力がありそうな政治家や役人達に働きかけ、あの手この手でイヴを救おうとする。遂に「病気の為、軍の任務につけない」という理由でイヴは除隊になった。救われたのである。
***************************************************************** 次のページから、ついにブランドを立ち上げ、本格始動したイヴ 続く・・・
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