裸ギリ! 透けドレスの淑女列伝

Men’s Health MEN’S CLUB SHOP NOW SDGs 定期購読 フォローする キーワードを入力 Today’s Top Stories 1 メットガラのセレブ成功例と失敗例。そしてミッキーマウス対フロリダ州の戦い 2 「ジョー マローン ロンドン」のチャリティキャンドルは、コロナ禍のお守り 3 ヘアスタイルが自慢のハリウッドスターが、もし坊主頭になったら? 4 「ココナッツオイル」をめぐる論争、効果は? それとも有毒? 5 「若者の渋谷離れ」の必然を渋谷137年の歴史から読み解く、今の若者はどこに集う? 記事で紹介した商品を購入すると、売上の一部がEsquireに還元されることがあります。
5月は「MET GALA」、そして「カンヌ国際映画祭」と世界的なセレブたちの集いが立て続けに開催されました。そんななか目を引くセレブは…、やはり究極のセクシーさを引きだす、透け透けドレスをまとった淑女たちではなかったでしょうか。
そこで「メンズ・プラス」は、いわゆるシアードレスでパーティ等に参加するセレブたちを、時間をさかのぼってリストアップしました! いつの時代も存在する、まさに“コケティッシュ”な彼女たちをぜひご覧ください。最終的に彼女たちの心理は…? 透け透けを流行る時代背景は…? そんな小難しい話は今回は抜きに…それは評論家さまにお任せです。まずは、史実を眺めることにしましょう!
左より/リアーナ、レディー・ガガ、ビヨンセ、 ケイト・モス、ジェニファー・ロペス。Getty Images
このパーティウエアのトレンドを、革新的なものとして世界的な話題へと押し上げたのは、2014年にネオキッドドレスで登場したリアーナの存在が大きかったのでは? …と、ちまたの噂はもちきりです。
ですが、実はハリウッドセレブたちがシアーで、ネイキッドなドレスでアワード等に出席するのは、かなり以前からありました。そこで、ここにPart 1・Part 2に分けて、セレブたちが競演する「裸ギリ! 透けドレス」の歴史を追ってみたいと思います。まずは前編として、このPart 1をご覧ください。
登場するは、1940年代にセックス・シンボルであるリタ・ヘイワースから、2011年のレディー・ガガまで。こうして変遷で見ていくと、実はリアーナよりもこの編の最後に登場するレディー・ガガこそ、このトレンドの起爆剤になったのでは?と思えるのです。そして、レディー・ガガが起こした旋風が風車を回し、セレブのファッション性を活性化したようで思えてならないのでした…。
それでは皆さんも、このPart 1で観察してみてください! ※時折、不思議な存在感を放つセレブがいるかもしれません。それはページ担当の好みからくるもののようなので、ご容赦ください。
この日のルック: 上部の大切な部分は花の刺しゅうで覆われた、ホルターネックのシアードレスです。こちらは映画「You were nyet enjoylier」の衣裳ですが、現代のアワードやパーティに参加するセレブが着用しているドレスも、映画の衣裳・舞台衣装のようなものでは…?と思い、こちらも掲載させていただきました。
~。アメリカ・ブルックリン出身の女優。1939年、ハワード・ホークス監督の映画『コンドル』に出演し、注目を集めます。そして、1940年代を代表するセックス・シンボルとして一世を風靡。当時、悪女を演じる彼女の右に出る女優はいなかったといいます。代表作は『ギルダ』、『カルメン』。『LIFE』誌のライターであるウィンスロップ・サージェントにより、グレートアメリカンにおける「愛の女神」という愛称で呼ばれ定着することに。皆さんの中でも、好きな方が多いかと思う映画『ショーシャンクの空に』では、刑務所内で彼女が主演する映画『ギルダ』が上映されるシーンがあります。そして、彼女のポスターが重要なキーとなり、物語は進むのでした。となみにこの映画に原作は、スティーブン・キングの中編小説である『刑務所のリタ・ヘイワース』なわけです。
この日のルック: 透け透けのシアードレスではありませんが、デコルテから胸元が大きく開いたドレスで登場したミレーヌ。当時としては、かなりセクシーだったのではないでしょうか。ウエストがキュッと締めることで胸元も強調されるビズチェ風ドレスです。胸部にはギャザーが施されていることで、淑やかな雰囲気も残された、緻密な計算の上に成り立つセクシードレスです。
生まれ。フランス・ニース出身の女優。現在80歳。映画デビューは17歳のとき。アーサー・ミラー原作の『るつぼ』を映画化した『サレムの魔女』でアビゲイル役を演じて注目を浴び、翌年の1957年のカルロヴィ・ヴァリ映画祭で最優秀女優賞を受賞。1958年には英国アカデミー賞の有望若手女優賞の候補に。以来、1960年まで立て続けに映画に出演。フランス本国のみならず、日本でも大人気となる。親日家であり、日本映画『ヨーロッパ特急』『東京タワー』にも出演したりと、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭のゲストなど来日回数も多い。写真は1959年8月ヴェネチア映画祭に出席したとき、イタリアの俳優ジーノ・チェルビとのディナーの際に。
Photograph/Cecil Stoughton/The LIFE Images Collection(Getty Images)
この日のルック: 衣装デザイナーのジーン・ルイスによってデザインされたドレスです。クリーム色をベースとしたシアーでいて、てキラキラ光るタイトなドレスで、彼女はある特別な場所に登壇したのでした…。その数、約2500個もの「スワロフスキー」製クリ スタルが手縫いされたというスペシャルな一着で、20世紀史上最大の一瞬とも言っていい場面を演出したのでした。
~、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の女優。本名はNorma Jeane Mortenson。20世紀を代表するセックスシンボルの彼女。身長166.4cm、体重53.5kg。スリーサイズはB94 W61 H86。1945年、19歳のときに工場で働き、その後軍の取材で写真にと撮られ、この写真が陸軍の機関誌『ヤンク』に掲載されたことを機にハリウッドへの道に。1946年、20世紀フォックスのスクリーン・テストに合格し「マリリン・モンロー」という芸名で契約。1947年に20世紀フォックスの『嵐の園』という映画に端役で初出演しますが、ぱっとせずに契約打ち切り。しかし、女優への夢を諦めきれずコロムビア映画に移籍し、『コーラスのレディたち』で準主役に。コロムビア映画とはその映画一本のみで終了し、その後は再びヌードモデルなどをしながら演技の勉強を、エージェントを探し続けた。そうして1951年に、『アスファルト・ジャングル』、『イヴの総て』に出演、注目されることに。以後、数本の映画に脇役で出、1952年の『ノックは無用』で準主役。1953年『ナイアガラ』では不倫相手と夫の殺害を計画する悪女役で主演に抜擢。このとき、モンロー・ウォークで世の男性の注目を集めたのでした。続く『紳士は金髪がお好き』、『百万長者と結婚する方法』や『七年目の浮気』が大ヒットとりなり、一躍トップスターとなったのでした。その後は…。この後に興味がある方は、ご自分でお調べください。今年の6月1日で生誕90周年を迎えています。
メイン画像の補足: マリリンの目の前に立っているのは、ケネディ大統領です、ご存じかと思いますが、彼の45歳の誕生日を祝うために、マジソンスクエアガーデンで「バッピーバースデ~ミスタープ レジデント~♪」を歌った日のモンローでした。「Happy Birthday, Mister President」と囁くように歌い、喝采を浴びましたね。そのドレスですが、なかなか大変だったようです。ドレスは1万2000ドル、 18人のお針子さんが9日掛けて作ったと伝えられています。が、舞台に上がる直前まで、実は完成していなかったようです。で、寸前に着こなすも、かなりのフィットぶり。パンパンだったので、下着も脱いで着用したとの噂です。そして舞台に上がると、今度はドレスの糸も弾けたという話しも…。世紀のワンシーンの裏側というものは、深いストーリーがあるものですね。
最後に、ちなみ系の話を3つ。 まず一つ目。この日が彼女がオフィシャルシーンで見せた生前最後の姿となったようです。そして2つ目、ケネディ大統領の奥さん、ジャクリーンは欠席していました。なぜか…。ま、知っていますね、そして最後。このときのピアノ演奏は、ジャズピアニストのハンク・ジョーンズだったのです。
この日のルック: タイトでロングなドレスはシフォン素材でしょうか、フィギアの衣裳のようにシアーでありながら、大切な部分はゴージャスな刺しゅうでカバーするという、クチュリエ泣かせなドレスで登場。この時代としては、衝撃的なドレスではなかったでしょうか。
生まれ、アメリカ・ペンシルベニア州出身の女優。1949年に”Miss Florida Fruits and Vegetables”と、ちょっと牧歌的なタイトルを獲得。そして1950年にNYで、テレビの仕事を。1953年に『Easy to Love』の端役で映画デビューし、1956年、『ジャイアンツ』にラズ2世役に抜擢される。続いて『ベビイドール』では主演を務め、アカデミー主演女優賞にノミネートされるなど、彼女にとって1956年は大転機となったのでした。1961年には、駐在中の若い日本人外交官寺崎と恋に落ちて結婚し、日本転勤となるというストーリーである、『太陽にかける橋』に出演。このとき、来日も果たしています。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにも、名を連ねる名女優です。ページ担当の個人的な意見としては、イタリア映画である『課外授業』の衝撃が忘れられません。
この日のルック: 映画『シャラコ』のプレミアでドイツに訪問したときのB.B.。バストの半分が見えるほど、胸元が大きく開いたワンピースドレスはクルーネックのシースルーチュールとの重ね着されています。カラーもブラックで、クールでスタイリッシュ、それでいてセクシーさも兼ね備えたB.Bらしいドレスです。     、フランス・パリ出身のファッションモデル・女優。そして現在は動物保護活動家でもあります。「フランスのマリリン・モンロー」とも形容され、20世紀のヨーロッパを代表するセックス・シンボルでした。余談ですが、父は航空会社経営、母は保険会社の重役職とと、かなり富裕な家庭に生まています。なので、幼い頃からダンスやバレエ、舞踏といろいろ学んでいたのでした。セックス・シンボルと称されたのは、ロジェ・ヴァディム監督作品の『素直な悪女』のときから。男達を翻弄する小悪魔役が実にはまり役だったのです。歌手としての活動も行い、1968年にはゲンスブールとの連名のアルバム『ボニーとクライド』も発表。当時、結婚していたバルドーはゲンスブールと不倫の関係にあることを、「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」という歌で露骨に公表していたことは世界的に有名な話しですね。1973年に『ドンファン』の出演を最後に俳優業は引退。その後は動物愛護運動家に徹しています。
この日のルック: この年のカンヌ国際映画祭に参加したときのボビーはこんなドレススタイルでレッドカーペットで闊歩し、世界に衝撃を与えました。ブラックのドレスですが、上半身はシースルークチュールで仕立てられ、しかも胸元はパックリと開き、ナマミからのバストがあからさまに見えるドレス。勇気ある行動です。さすが『プレイボーイ』誌の元“プレイボーイ・バニー”だっただけのことはあります。そして、このスタイルは70年代、世界的に流行した「ストリーキング」を意識してのチャレンジだったのでしょうか。
生まれ。アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ出身の女優。1983年に『MAUSOLEUM』という低予算ホラー映画に出演し映画デビュー。以後、この路線の第一人者となりました。
この日のルック: カナダ・オタワにて、公式訪問した際のダイアナ妃。当時21歳の初々しい彼女。時折見せる、はにかんだ表情のように、スカートがシアー素材で仕立てられたツーピースドレスにセンスのよさが表現されています。セクシーというにはおこがましいほど、女性らしさを意識したエレガンスの追求。この上品さの中に宿る女性らしさの主張といいましょうか、この嫋やかな艶やかさを、現在お騒がせ系のセレブたちも学ぶ必要があるかもしれませんね。
、イギリスの名門貴族であるスペンサー伯爵家の令嬢として生まれる。そして1997年、8月31日に満36歳で没。1981年にイギリスの第1位王位継承権者であるウェールズ公チャールズと結婚し、1981年にチャールズ皇太子と結婚。彼との間にケンブリッジ公ウィリアム王子およびヘンリー王子の2子をもうけました。その後、チャールズ皇太子と別居状態にとなり、1996年に離婚。1997年にパリで交通事故に遭い、帰らぬ人に。
この日のルック: ロンドンにあるトランプ・ナイトクラブから出てくるブリジッド。チュールというよりシフォンのようにしなやかでシアーな素材で仕立てられた黒のワンピースは、左脚に当たる部分がパックリとスリットが施されたセクシーウエア。とはいえ、この方はわりと脱ぎたガールなので、普通に見えてしまう方も多いかと思います。
生まれ。デンマーク出身のモデル・女優。身長185cmの長身で、鍛え上げた肉体とボディを擁してハリウッド映画に進出しました。20歳を過ぎてオーディションに合格。デビュー作は、アーノルド・シュワルツェネッガーが主演で人気を得た映画『コナン』のシリーズの姉妹編『レッドソニア』。その後スタローンとも親交を深め、1984年に彼の代表作とも言える『ロッキー』シリーズ4作目『ロッキー4/炎の友情』に出演。その翌年の1985年、スタローンと結婚することに。1986年には、映画『コブラ』で夫婦共演を果たすも、1987年に離婚。2000年代に入ると、リアリティ番組への出演が多くなっています。2007年にはアルコール依存症のためにリハビリセンターに入所。近作は2014年の映画『Mercenaries』になります。
この日のルック: モデル事務所エリートのパーティに、仲のいいナオミ・キャンベルと訪れたケイト。チュール素材でしょうか、シアー感あり過ぎのワンピを着用しての登場。ブラはせず、当然バストは丸見えなわけです。さすがモデルです、堂々といい笑顔を見せています! このようなルックは、ランウェイでは当たり前ですものね。
生まれ、イギリス・ロンドン出身のモデル。いまやワールドワイドなファッション・アイコンとして有名。身長は167cm。長身と曲線美で魅了する1990年代のスーパーモデルらと共演する機会も多かったのですが、彼女の路線はそれとは対照的な立場からのアプローチ。それもあって、世界的なアイコンとなったのでした。2005年に問題を起こし、一時各契約先と決別。しかし、1年ほどでカムバックを 果すほどの実力を見せつけました。私生活ではジョニー・デップと3~4年の交際を経て、婚約をするも破棄。その後もジェファーソン・ハックと交際し、娘・ライラを授かるですが2004年に破局。2007年より、ミュージシャンのジェイミー・ヒンスと交際をスタートさせて、2011年7月に結婚し、現在に至る。
この日のルック: ロサンゼルスで行われた映画『Jury Duty』のプレミアに出席したアンナ。シアーではありませんが、肌色のベルベット系の素材のドレスは、ヌーディーかつアンナの肌の柔らかさを表現したかのように映って、見えている以上にそそられた男子も多かったのではないでしょうか。さすがにヌードのプロフェッショナルだと思わせるのは、こうしたパパラッチ系フォトコール系の写真で、アンナはバストの膨らみは見せてもニップルまで見せたことはないのではないでしょうか。
、アメリカ・テキサス州ヒューストン生まれのモデル・女優・テレビパーソナリティ。 そして処方薬の過剰摂取により、に39歳で亡くなりました。アメリカの雑誌『PLAYBOY』に登場して全米を圧巻。1997年のプレイメイト・オブ・ザ・イヤーに選ばれています。アダルトモデルをしながらも、ゲスジーンズやレーン・ブライアントなどの広告モデルにも出演するという稀有なキャリアの持ち主です。自身のリアリティ番組である『アンナ・ニコル・ショー』への出演などの行い、その活動は多岐に亘っていました。見てお分かりのように、「マリリン・モンローの再来」ともいわれるほど抜群のスタイルの持ち主です。身長180cm、B97-W66-H97cm。1994年には『Naked Gun 33⅓: The Final Insult』に出演。最後の映画出演は、2006年の『ILLEGAL ALIENS』になります。
この日のルック: この方も、アルバムのジャケット等の撮影の際には、わりと見せたガールです。こちらは第9回の“Soul Train Music Awards”に参加した際のトニー。全体がネット状になった赤のフィットドレスですが、きちんど下着は両方着用しています。
生まれ。アメリカ・メリーランド州出身のR&Bシンガーであり女優。主なヒット曲としては、「Un-Break My Heart」 が全米で11週連続1位に。また、「You’re Makin’ Me High」も全米1位に輝いています。また、「He Wasn’t Man Enough」は全米2位に、「Breathe Again」は全米3位にと、実力ある名シンガーなのです。映画出演は2001年に、『Kingdom Come』で、ウーピー・ゴールドバーグとの競演を果たしています。
この日のルック: この年の“VH1/Vogue Fashion Award”に出席したときのスタイル。背中にも深~いVゾーンをもつセクシ-スリップドレスという出で立ち。透け透けのシアードレスではありませんが、薄手のシルク素材が想像をかき立てます。
生まれ。アメリカ・オハイオ州出身の映画・テレビ・舞台女優でありプロデューサー。身長160cm。8歳でテレビに初出演した子役出身で、11歳の時にはブロードウェイにもデビュー。13歳の時、ミュージカル『アニー』で2年間アニー役を演じています。1981年から出演したテレビシリーズ『Square Pegs』で全米で人気となり、1984年公開の映画『家族の絆』で本格的に映画女優にもなる。この年公開の映画『フットルース』にも出演し、映画女優としても注目を集めました。そして1998年から放送開始した、テレビシリーズ『セックス・アンド・ザ・シティ』で、主人公のキャリー・ブラッドショーを演じ、世界的な人気を不動のものに。このキャリー役を演じて以来、アメリカではファッションリーダー的存在で彼女のスタイルを真似する女性が続出しました。私生活では、1984年から1991年まで俳優のロバート・ダウニー・Jrと交際していましたが破局を迎え、1997年に俳優マシュー・ブロデリックと結婚する。
この日のルック: これまでの大胆さNO.1は彼女、バックスタイルはもはや簾ごしの裸です!  ロスで行われた“MTV MUSIC AWARDS”に当時付き合っていたマリリン・マンソンと同伴で出席したときの写真です。下着はTバックのみで、フロントもラメは配されながらもメッシュの素材。丸見えでした。あまりに衝撃なので、今回はバックスタイルを。
生まれ。イタリア・フィレンェ出身ですがアメリカ国籍の女優。身長163cm。両親はカルト教団と言われる“ファミリー・インターナショナル”のメンバーだったようで、そのため、そのコミューンやヨーロッパで放浪しながら育ったという経歴をもつ。10歳の時に両親の離婚に伴ってアメリカに移り、ワシントンで祖母と暮らし始め、その後はロサンゼルスへ。3歳の頃からモデルとして活躍し、1992年には映画『Encino Man』に出演し、映画デビューを果たす。1995年に映画『The Doom Generation』に出演し、これが彼女の出世作となる。1998年にはマリリン・マンソンと婚約していましたが、3年後に破棄。2001年には、テレビシリーズの『Charmed』に出演し、以来、2006年まで約5年に渡って出演したところで自ら続編への出演を辞退。このシリーズで、演技力の高さがさらに評価されることとなりました。1996年の映画『Scream』のテイタム役が印象に残っている人が多いと思いますが、それと同レベルで映画『Planet Terror』のチェリー役のほうがという人が多かったりします。その映画の監督であったロバート・ロドリゲスと、2007年に婚約。しかし、これまた2009年に婚約解消に。私生活の演技力はまだまだのようです。
この日のルック: ロスで行われた“Vanity Fair Oscar Party ”に出席した彼女。光り輝くロングドレスに、胸から上の部分がシアーに。これぞ彼女の個性を含めた上での緻密な計算がなされた、見事なシアードレスではないでしょうか。
生まれ、アメリカ・ニューヨーク出身の女優。身長170cm。子供の頃から舞台に立っていますが、彼女の名を世界的に広めたのはデビュー作、1979年の『A Little Romance』、“サンセット・キッス”です。この作品で彼女の演技が絶賛され、様々な雑誌のカバーを飾るなど、一挙にアイドル的存在に。しかし…。19歳の頃からしばらく、女優としては低迷します。2000年を過ぎたあたりから再び注目されはじめ、2002年の『Unfaithful』でゴールデングローブ賞、アカデミー賞主演女優賞の候補となる。ちなみに全米映画批評家協会賞主演女優賞やニューヨーク映画批評家協会賞 主演女優賞を受賞しています。近作は2016年の『Batman v Superman: Dawn of Justice』に出演。クラーク・ケントの育ての親であるマーサ・ケントを演じています。

Photograph/Paul Fenton(Fotos International/Getty Images)
この日のルック: 俳優のエドワード・バーンズと交際していた当時、一緒にアカデミー賞授賞式に出席したときの写真です。 程よい胸の膨らみを上品にしてセクシーに演出する“ヴェルサーチ”のドレス。ほんのりシアーなのですが、ヌードカラーなのセクシーさが勝手に増してくるのです。上品さをキープしながらの魅力を引きだすには非常に効果的な手法ですね。アクセサリー役にするほどの胸の隆起感もないからでしょうか、デコルテを演出する“Fred Leighton”のダイヤモンドブリオレットチョーカーも効果的です。     生まれ。アメリカ・ウィスコンシン州ミルウォーキー出身のモデル・女優。身長173cm。最初はテレビシリーズ『Growing Pains』にゲスト出演したことから彼女の女優業はスタートします。そして高校卒業後となる1988年に、映画『License to Drive』で本格的に映画デビューを果たします。その後、人気テレビシリーズである『Twin Peaks』にウェイトレスのアニー・ブラックバーン役で出演。注目され始めたのは、1997年の映画『Boogie Nights』から。ルックスのイメージに反して、濡れ場に対しての抵抗があまりないようで、2001年の映画『Killing Me Softly』では大胆なセックスシーンを演じています。雑誌『ピープル』が選ぶ「世界で最も美しい女性トップ50」の常連でもありました。2015年には、主演と脚本を務めた『Half Magic』で、監督としてデビュー。日本公開は未定です。そして私生活は恋多き女性です。
この日のルック: こちらはパーティ出席シーンなのではなく、ショーのバックステージになります。Luca Lucaの 2003年秋冬コレクションの一着は、胸とサイドのウエストが飾りメッシュになっているブラックのシアードレスです。
生まれ。イギリス・ロンドン出身のモデル。1980年代からモデルとして活躍。最初のメディア出演は1978年。7歳のときに、ボブ・マーリーの『イズ・ディス・ラブ?』のMVで生徒役で出演。そして1982年には、カルチャー・クラブの『アイル・タンブル・4・ヤ! 〜君のためなら』のMVにタップダンサーとして出演しています。15歳になって、コベントガーデンでフォード・モデルの社長にスカウトされ、フルタイムのモデルとして働くことを選択。ショーモデルとしてキャリアを重ね、すぐに複数の広告に起用されました。そしてアメリカを拠点に活躍するようになります。1986年には雑誌『エル』の表紙を飾り、1988年には黒人モデルとして初めてパリ版『ヴォーグ』の表紙も飾ったのでした。この革新的な起用の裏には、イヴ・サン=ローランの後押しがあったことで成立したことは有名な話となっています。モデルとしての絶頂期は、1990年代。シンディ・クロフォード、クラウディア・シファー、クリスティー・ターリントン、リンダ・エヴァンジェリスタ、ケイト・モスと並んで「ビッグシックス」と呼ばれ、特にリンダ・エヴァンジェリスタとクリスティー・ターリントンと並んで「トリニティ」と称されていました。46歳となった現在も、変わらぬ美貌とプロポーションを保ち、モデル業やアクティビストとして活躍しています。
この日のルック: ポルトガルで開催されたスポーツ界のアカデミー賞“ローレウス世界スポーツ賞”に出席したときのヴィクトリア。 “Roberto Cavalli”テイストに見えますが定かではありません。大胆に胸元はVカットを入れ、脚には深いスリットが…。シアーな素材はフレーム使いでふんわり感を出し、ボディ部分はタイトにカーヴィな曲線を際立たせながらも刺傷を施すことによって中身は秘める作戦。見事にセクシーさを引きだしています。
生まれ。イギリス・ハートフォードシャー出身の歌手、ファッションデザイナー、女優、実業家。旧姓のVictoria Adamsとして、1990年代を代表するアイドルグループであるスパイス・ガールズに参加。身長163cm。夫はサッカー選手デビッド・ベッカム。1997年にサッカーのチャリティー・マッチに出席した際に出会い、デビッドのほうからデートに誘われたそう。2011年よりファッションデザイナーとしても活躍。その年の11月には、ブリティッシュ・ファッション・アワードで、デザイナー・オブ・ザ・イヤーに選出されています。
この日のルック: この年にローンチした、ヴァレンチノのフレグランス“Valentino V”のお披露目パーティがNYで開催され、彼女も出席したときのスタイルです。膝ちょい上のスカート丈、そしてウエストに適度な存在感を放つリボンを配したシフォン素材のシアードレスを着用しています。スカート部はライナーまたはシフォン素材が何層にもなっているようで透けていません。胸元には大胆なスリットが入り、下着の存在がないことを訴えています。かなりの透け度かと思えるのですが、そのカットからは大切な部分は見えておりませんが…。エレガンスとセクシーさのレシオは的確。知性的な色気を放っています。着こなしに関しては、お騒がせ者ではありませんね。
生まれ。アメリカ・ニューヨーク出身の女優・シンガー。身長165cm。3歳よりフォード・モデル・エージェンシーに所属し、約60本ものコマーシャルに出演。その後ディズニーのテレビシリーズや映画に出演し、子役として活躍しました。映画デビューは1998年の『ファミリー・ゲーム/双子の天使』。この作品でいきなりヤング・アーティスト・アワードの主演女優賞を受賞し、子役として大人気。その後は学業を優先するために、芸能活動を休業もしています。そして2003年には復帰をすませており、映画『フォーチュン・クッキー』が全米で1億ドルを超える大ヒットを記録! さらに人気ドを上げ、アメリカを代表するティーン・アイドルになりました。2004年公開の『ミーン・ガールズ』もヒット。2004年にMTVムービー・アワードでホストを務めるほどのスターとなり、ブレイクスルー演技賞も受賞。同年に開催されたティーン・チョイスアワードでは、映画部門の女優賞を含むなんと4冠を達成したのでした。2004年には、歌手としてデビュー。初めてのアルバム『スピーク』は、この年の12月25日付全米チャートで初登場4位を記録し、100万枚を超えるセールスとなったのでした。そんな実力あふれる彼女ですが、私生活はお騒がせの痛いセレブの一人。パーティー好きで知られ、トラブルメーカーとして報道されることが多いのです。薬物、交通事故、喧嘩等、さまざまな問題を抱えて…今も…。近年は飲酒、ドラッグ、無免許運転などと多岐にわたるスキャンダルを起こしてしまい、私生活の話題ばかりが注目されるようになってしまっっています。
この日のルック: 2006のカンヌ国際映画祭にて、『Volver』のプレミア・ディナーに出席したペネロペ。適度なVゾーンカット、そしてノースリーブのシアーミニドレスは非常にエレガントでありセクシーでもあります。上はきちんと下着を着用、でも下は…? 着用していないように見えるのは、担当だけでしょうか…。
1974年 4月 28日生まれ。スペイン・マドリード出身のモデル・女優。身長168cm。1991年にフランスのテレビシリーズに出演後、1992年にスペイン映画『ハモンハモン』で映画デビューを果たします。1998年公開の『美しき虜』でゴヤ賞主演女優賞を受賞。同年公開の『オール・アバウト・マイ・マザー』で国際的に知られるようになる。その後はハリウッドに招聘されるようになりますが、典型的なラテン女性役ばかりで良い評価にはつながっていません。2006年公開のスペイン映画『ボルベール〈帰郷〉』でカンヌ国際映画祭女優賞、ヨーロッパ映画賞最優秀女優賞などを受賞。また、スペイン人女優として初めてアカデミー主演女優賞にもノミネートされています。2008年公開のウディ・アレン監督の『それでも恋するバルセロナ』ではアカデミー助演女優賞を受賞。この受賞はラテン系女優として二人目で、スペイン人俳優としても二人目、スペイン人女優として初めての受賞者となったのでした。2000年、『すべての美しい馬』を撮影終了後には、ベジタリアンに転向。インドの少女たちを救うサベラ基金を支援するなど社会貢献活動にも積極的に参加しています。2010年7月、スペイン人俳優のハビエル・バルデムと結婚。2011年1月にて第一子、2013年2月には第二子をにんしんしていることがわかった出産しています。
この日のルック: カンヌ国際映画祭にて、 『Selon Charlie』のプレミアに出席したソフィー。この前年の2005年には胸ポロリ事件を起こした彼女だけに、胸元は守っていますが、この年も風によって美しい花柄の表地は跳ね上がり、2枚目のシフォン素材のライナーが…。風の悪戯シアードレスです。
この日のルック: カンヌ国際映画祭に夫ブラッド・ピット が主演する『Inglourious Basterds 』のプレミアに出席したアンジー。シアーな素材のライナーにヌーディなカラーのデリケート素材を重ねわせたドレスは、実にセクシー。アンジー得意の大胆なスリットも見事です。
生まれ。アメリカ・ロサンゼルス出身のファッションモデル・女優・映画プロデューサー・アクティビスト。父は俳優のジョン・ヴォイト、そして夫はいわずもがなのブラッド・ピットです。生後間もない1976年に、両親が別居すると兄弟とともにニューヨークへ移住。1982年には父が主演する映画『大狂乱』で親子共演を果たています。14歳でアメリカとヨーロッパを基点にファッションモデルを開始。幾つかのミュージック・ビデオに出演。16歳で演劇を再度学び始め、ドイツ人のミストレス役で舞台デビューも飾っています。1995年、映画『サイバーネット』で初主演。その存在感と演技はうるさい『ニューヨーク・タイムズ』も絶賛していました。1999年の『17歳のカルテ』でアカデミー助演女優賞を受賞して、実力派女優としての地位を確立しました。2000年の『60セカンズ』は大成功、翌2001年の『トゥームレイダー』でも大絶賛を浴びる。その後、『Mr.&Mrs.スミス』で記録的な興行収入を上げ、人生もさらに上げたのでした。近年では慈善活動にも勢力的に行動しています。
この日のルック: カンヌ国際映画祭にて、映画『 Coco Chanel and Igor Stravinsky』の閉幕の会に出席した際のイザベル。シアー度は低く、デコルテ周辺の露出度の高さと袖の刺しゅう入りのチュール素材の組み合わせることで、高貴なる艶やかさ表現していますね。
生まれ。フランス・パリ出身の女優。身長163cm。14歳の時にスカウトされ女優の道を歩むことに。映画デビューは『Le Petit Bougnat』。以後、TVにも出演。18歳でコメディー・フランセーズの正式座員になり、舞台で大人気に。フランソワ・トリュフォー監督の『アデルの 恋の物語』に出演し、アカデミー賞にノミネートされる他、各賞の女優賞を独占しました。以後も話題を常に集めるフランスを代表する名優の地位を築きます。その一 方で、コメディー・フランセーズを突如退団したり、撮影現場に来なかったりと謎の行動も…。1979年には、未婚の母として男の子を出産。1995年にはダニエル・デイ=ルイスとの子供も産みましたが、その後破局。一時期ウォーレン・ベイティと交際していた時期もあるという、恋多き女性です。
この日のルック: この年、“CFDA Fashion Awards”に出席した際、バックステージでの撮影。もはやシアードレスというレベルを超えて、アンダーウェア? ランジェリーチックな舞台衣装で登場。セクシーさも十分備えていますが。それ以上に奇抜さのレべルが高すぎるのでした。セレブたちのドレス傾向が、このガガの登場によって、変化していったように思えてしょうがないのです。
生まれ。アメリカ・ニューヨーク州出身のアーティスト。本名はステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ。14歳からクラブでパフォーマンスを開始。ストリップで生計を立てていました。2007年にレコード会社と契約して、ファーギー、ブリトニー・スピアーズなどに楽曲の提供を行っていました。2008年には、自らのデビューアルバム『ザ・フェイム』を発表し、全世界で大ヒット。『ザ・モンスター』『ボーン・ディス・ウェイ』など次々にヒット作を生み出すことに。その後、過激なファッションとパフォーマンスでも世界からの注目を浴びるようにステージアップしました。チャリティや社会活動にも積極的で、2011年の東日本大震災後はいち早くチャリティーブレスレットを販売し、来日も果たしています。
イヴサンローラン