イヴ・サンローラン、 天才デザイナーの苦悩と真実2

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Facebook Twitter Instagram Legend of Mode イヴ・サンローラン、 天才デザイナーの苦悩と真実 20世紀のファッションを創り上げた、イヴ・サンローラン。世界的な名声と富を得ながら、薬物とアルコールに溺れた人生。彼が愛したふたりの側近から、天才の光と影が今、語られる。 20世紀のファッションを創り上げた、イヴ・サンローラン。世界的な名声と富を得ながら、薬物とアルコールに溺れた人生。彼が愛したふたりの側近から、天才の光と影が今、語られる。 By GQ JAPAN編集部
Twitter Pinterest 20世紀のファッションを創り上げた、イヴ・サンローラン。世界的な名声と富を得ながら、薬物とアルコールに溺れた人生。彼が愛したふたりの側近から、天才の光と影が今、語られる。
当時、モデルをしていたベティ・カトルーだ。サンローランが考案した女性用のタキシードを、華奢な体つきで颯爽と着こなし、メゾンの顔として活躍。ピエール・ベルジェが、公私ともにイヴ・サンローランの面倒を見る親代わりだったのに対し、彼女はドラッグやアルコールなど、享楽的な楽しみを分かち合う悪友だった。インタビュー時、タイトなブラックジーンズにブーツ、イヴ・サンローランの革のジャケットを着た彼女は、白ワインを飲むように勧めてくれた。「飲むと楽しくなって、面白いことが言えるのよ」。彼女は語り始めた。
ベティ・カトルー━━もちろん。1967年のある夜、ナイトクラブで話しかけられたの。とてもシャイな人だったから、友人に声をかけるように頼んで、私をテーブルに呼んだのよ。その瞬間から、ずっと彼と行動をともにしてきたわ。
GQ──シャネルのモデルをしていたあなたのファッションが彼の目に止まったのでしょうか?
ベティ・カトルー━━いいえ、いつもジーンズにTシャツ姿。みすぼらしい少女が、クラブで酔っぱらっていたのよ。モデルは好きでやっていたのではなく、飲み代を稼ぐための手段。そんなとき、彼が私を拾ってくれたの。
ベティ・カトルー━━私の外見と行動のギャップを気に入ったんだと思う。きっと彼の好きなタイプだったんじゃないかしら。
ベティ・カトルー━━もちろん。でないと長くは続かないでしょう。ふたりともアブノーマルな人間なんだから。今日はノーマルな話はよしましょう! 彼もノーマルなことが嫌いな人だったわ。
ベティ・カトルー━━他人と交わることがなく、極端な人嫌い。世間一般の人間とは全然違ったわ。
GQ──ピエール・ベルジェさんが、サンローランはうつの傾向にあったと言っていましたが。
ベティ・カトルー━━私もうつ病で悩まされていたので、とても共感できたわ。 イヴ サン ローラン と は 体つきもよく似ていたし、ブロンドでやせ過ぎ。洋服は決まって黒のレザー。彼は悪いことばかりしていたわ。私も同じだったけどね。
ベティ・カトルー━━いいえ、全然。でも複雑な側面をもつ人だった。毎日私に電話をかけてきては「僕の人生なんて最低だ。もう耐えられない。どうやって耐えていったらいいんだ?」と嘆くので、「じゃ、私と心中しちゃいましょうよ」と答えていたものよ。でも、ほんの5分後には、お酒を飲んでクラブに繰り出していた。行きずりの相手を探してみたり、突然笑い転げてみたり、何でもありだったわね。
ベティ・カトルー━━そうかもね。でも、彼は何をしてもすっきりしていないようだった。私も同じ。いつも人生に対して不満を抱えていて、それが何よりの共通点だったわ。
ベティ・カトルー━━肩にのしかかったプレッシャーがあまりにも大きかったんでしょう。それに私たちは、何でも極端にやってしまう傾向にあった。普通のことをやっていても、そのうちにお酒を飲み、だんだん強い刺激を求めて、もっと過激なものが欲しくなる。上手にバランスを保ちながら生きられる人と、そうでない人、両方がいるでしょう。そうでない方のグループだったのよ。
GQ──度が過ぎてしまう人だったからこそ、真にクリエイティブだったのかもしれませんね。
ベティ・カトルー━━そのとおり。天才の彼の傍らにいられた私は、とてもラッキーだったと思う。いつだって、彼の周りには男の子や女の子が群がっていたけれど、結局私を選んで、いつもそばに置いてくれていたんだもの。

ベティ・カトルー━━彼とファッションの話をしたことはなかったわ。自分たちの感情の動きや人嫌いであること、話したのはそんなことばかり。とにかく、私たちは世の中に対して反抗的だったの。デザインに私の影響があるとすれば、男性的なエッセンスを加えたことぐらいかしら。ほら、彼のデザインってフェミニンなものが多かったでしょ? 私が絶対に着ないような女性的なデザイン。そこに男女のふたつの要素を共存させたのは、私のせいかもね。
GQ──サンローランが自身で手がけた作品のなかで、ただひとつを選ぶとしたら、迷わずタキシードだと語っています。あなたに影響を受けたものといわれていますね。
ベティ・カトルー━━私はフェミニンな服をいつも避けていたから。本当に似合わないの。それは自分でもよく分かっていて、プライベートではサンローランのタキシードばかり着ていたわ。 サン ローラン タキシード 全部で20着ほどだけど、自宅に小さな博物館のようなスペースを作ってそこに保管しているの。いい状態のままなので、今でも十分に着られるわよ。
70年代中盤から、ピエール・ベルジェは、化粧品や香水事業に乗り出す。イヴ・サンローラン自らがヌードになった広告が注目を浴びた「プール オム」や、アヘンの名前をもつ「オピウム」などの香水は、世界中で大ヒットを記録。そしてサングラスやタオルなど190ものライセンス商品を展開し、サンローランとベルジェは巨万の富を得る。その資金を彼らは絵画や彫刻などアートコレクションに注ぎ込んだ。ふたりの邸宅はピカソ、モネ、モンドリアン、セザンヌ、マティス、コクトーなど、美術館さながらにさまざまな名作で溢れていたという。
GQ──あなたはイヴ・サンローランの仕事とプライベートな人生、その両方のプロデュースに成功したといわれています。あなたのおかげで、彼は経済的な心配もせず、仕事に集中できたようですね。
ピエール・ベルジェ━━そうです。私たちの間には、見えない“ベルリンの壁”がありました。彼がデザイン中に、経営や財政の話で邪魔することは絶対になかったし、彼もお金の話をしてきたことはありませんでした。
GQ──お金は彼にとって、重要ではなかった? ピエール・ベルジェ━━まったく重要ではありませんでした。彼は自分がいくら所有しているかも把握していなかったと思います。お金は、彼にとって世間一般の意味とは違う、何か別のものだったのです。
GQ──この素晴らしいアートコレクションも、そっくりあなたに譲ったそうですね。 ピエール・ベルジェ━━そうです。ある日、サンローランが私に聞いてきました。「世界で認められるくらい美しいコレクションを自分たちで創り上げたことを誇りに思うかい?」。もちろんふたりとも満足していました。ヨットや自動車などを買うのを我慢して、稼いだ資金をアートに費やしてきて、本当によかったと思います。
GQ──でも、あなたはサンローランが亡くなった後、3億7300万ユーロで、コレクションを売却しましたね。おふたりにとって大切なコレクションを、なぜあっさりと手放したのですか? ピエール・ベルジェ━━自分のためではありません。財政的な理由です。エイズ基金や、劇場への援助金などさまざまな財団法人や基金団体に寄付をするためです。
GQ──コレクションのオークションのあと、ハウスの様子は寂しくなったでしょう? ピエール・ベルジェ━━いいえ。ふたりの思い出の品を売ってしまって悲しくないのか、とさんざん聞かれましたけど、何でもなかった。私は50年間も生活をともにしてきた人を失ったのです。それに比べたら、コレクションを人に譲るなんて実に他愛のないことですよ。
Interview & Text: Johannes Bonke & Sven Schumann Photos: UNIFRANCE, ALEX DE BRABANT @ Colorstorm Media Translation: Akiko Iimura Editor: Maki Shibata
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Facebook Twitter Instagram Legend of Mode イヴ・サンローラン、 天才デザイナーの苦悩と真実 20世紀のファッションを創り上げた、イヴ・サンローラン。世界的な名声と富を得ながら、薬物とアルコールに溺れた半生。彼が愛したふたりの側近から、天才の光と影が今、語られる。 20世紀のファッションを創り上げた、イヴ・サンローラン。世界的な名声と富を得ながら、薬物とアルコールに溺れた半生。彼が愛したふたりの側近から、天才の光と影が今、語られる。 By GQ JAPAN編集部
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2年前、パリのアパルトマンで、 イヴ・サンローラン は、ふたりの腕に抱かれて、生涯の幕を閉じた。彼を抱いていたひとりは、50年来の恋人であり、ビジネスパートナーとして、クチュールメゾン「イヴ・サンローラン」を率いたピエール・ベルジェ。そしてもうひとりは、彼にデザインのインスピレーションを与え続けたモデルで、親友でもあったベティ・カトルー。極度の人見知りで有名だったサンローランが唯一心を許し、愛し、理解し合ったふたりだった。
ディオールやシャネルと並び、20世紀のファッションを創り上げた、モード界の巨匠、イヴ・サンローラン。世界中を熱狂させた名声と莫大な富を得ながらも、うつ病に悩まされ、マゾヒスティックにドラッグやアルコールの常用を繰り返した、天才デザイナーの真実の姿が、ふたりの口から語られた。
イヴ・サンローランは21歳のときに、ピエール・ベルジェと出会った。当時、ベルジェは画家のベルナール・ビュフェの恋人兼マネジャー。一方のサンローランは、弟子入りしたクリスチャン・ディオールの死後、後継者に抜擢された新進デザイナーだった。彼らはたちまち恋に落ち、サンローランがディオールに解雇されたあと、二人三脚でクチュールメゾンを立ち上げる。ベルジェは優れた経営手腕を発揮し、サンローランの創作活動を献身的に支え続けた。
GQ──イヴ・サンローランと初めて出会ったのは、1957年のクリスチャン・ディオールの葬儀のときだったのですか? ピエール・ベルジェ──いいえ。ふたりとも葬儀の写真に写っているかもしれませんが、実際に会って話したのは。マリー・ルイーズ・ブスケ主催のディナーです。ディオールで彼が手がけた初コレクションを祝う席でした。半年後には、もう同棲を始めていましたが。
GQ──サンローランのどこに惹かれたのですが? ピエール・ベルジェ──彼が手がけたディオールの初コレクションを見て、衝撃を受けたのです。当時の私は、ファッションのことがよく分からなかった。私の眼には単なる金儲けの手段に見えて、アートではなかったから。でも自分はなんてバカだったのだろうと気づいたのです。サンローランは将来、素晴らしいデザイナーになると確信しました。
GQ──それからあなたたちは恋に落ち、長きにわたる人生の伴侶となりましたね。3年後、サンローランは後継者のポジションを奪われて、ディオールを解雇されます。理由は、アルジェリアでの兵役を拒否したからと聞いていますが? ピエール・ベルジェ──彼は私に言いました。「僕たちに残された選択は、自分たちのクチュールハウスを設立することしかない」と。ファッションビジネスのことは、何も分かりませんでしたが、ほかの選択肢はなく、迷いすらありませんでした。
GQ──それから50年間、あなたはイヴ・サンローラン社のCEOとして任務を果たしてきました。彼がファッション界に残したいちばんの功績は何でしょうか?
ピエール・ベルジェ──こうして毎日、社会で活躍する女性たちを目にするようになったことです。
GQ──具体的に言うと? サン ローラン と イヴ サン ローラン ピエール・ベルジェ──サンローランは、シャネルと同様に20世紀において最も重要なファッションデザイナーのひとりです。当時は今と違って、デザイナーが時代を動かす鍵を握っていました。サンローランやシャネルは、時代とともに変化する女性や社交界に焦点を当てて服を作りました。クリスチャン・ディオールらが、デザインの美しさに集中してこだわっていたのに対し、まったく違うアプローチをしたのです。

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GQ──女性の生き方を服に反映したということですか? ピエール・ベルジェ──そうです。シャネルは女性を自由にし、サンローランは、女性に力を与えました。世界中の女性たちの心理に多大なる影響を及ぼしたのです。
イヴ・サンローランは、男性の正装とされていたタキシードを女性の夜の服として発表し、パンツルックの先駆けとなった。当時、サンローランのパンツスーツを着た女性がNYのレストランから締め出されたほど、スキャンダラスなデザインだった。水兵のユニフォームから派生したピーコートや、探検家の服装をイメージしたサファリルックなど、男性のワードローブから着想を得たデザインは、当時の女性の意識とライフスタイルを変えていったのだ。
GQ──女性たちを熱狂させるデザインを発表する一方で、70年代中盤以降、サンローランは薬物やアルコールに依存するようになりました。何が原因だったのですか?
ピエール・ベルジェ──それについては、なかなか答えにくいのです。薬物やアルコールの力を借りて、素晴らしいコレクションを作り上げたことは彼自身が認めています。それゆえ、止めるのは本当に大変だったようです。
GQ──彼はワーカホリックでしたか? ピエール・ベルジェ──ええ。いつも仕事に没頭していました。仕事以外のことやほかの人にはほとんど目も向けなかった。マルセル・プルーストが、ぴったりの言葉で表現しています。「天才とは、自分のことだけでせわしなく動いている」。ほら、まったくそのとおりです。
24歳のときに徴兵されたイヴ・サンローランはデリケートだった神経を病み、精神科病院に収容された。自らのメゾンを立ち上げ、地位を確立してからも、プレッシャーから、薬物とアルコールにストレスのはけ口を求めるようになる。1971年、親交が深かったアメリカの石油王の妻、タリサ・ゲッティが薬物の過剰摂取で死亡。それでも薬物と縁が切れず、ショーの後、震える体と不明瞭なスピーチで観客に挨拶するサンローランの姿がさまざまな憶測を呼び、40代からたびたび死亡説が流れた。
GQ──イヴ・サンローランは、うつ病だともいわれていました。2002年の引退のときに彼は、こう話しています。「さまざまな苦痛、地獄のような日々、孤独も悲しみも味わってきた。僕を裏切った友人のように、鎮静剤も薬も僕を裏切り続ける。うつはやがて僕を牢獄、つまり精神科クリニックへと導いていった」。輝かしい功績を残した彼が、なぜこれほど悲しまなければいけなかったのでしょうか?
ピエール・ベルジェ──彼は生まれつきうつの傾向にあったのです。大人になり、名声を得るようになっても、何の足しにもならなかった。名声を苦痛に思っていたくらいです。
GQ──世界中の人に認められているサンローランは、悲劇の人だったと思いますか? ピエール・ベルジェ──サンローランはアーティストでした。アーティストは自身の内面で起こる現実と戯れるもの。彼らには彼らのゲームがある。周囲は、そのゲームのルールをちゃんと守る必要がある。私はそれがとてもよく分かっていた。だから、50年間も彼と一緒にやってこられたのですよ。
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